大気中CO2除去技術(DAC)の経済ポテンシャルと政策枠組みの設計
はじめに
気候変動への対策は喫緊の課題であり、その解決には温室効果ガス排出量の削減だけでなく、大気中の二酸化炭素(CO2)を除去する技術(Carbon Dioxide Removal: CDR)の役割が不可欠であると認識されています。中でも、二酸化炭素直接空気回収(Direct Air Capture: DAC)技術は、既存の点源からの排出削減とは異なり、どこにでも設置可能であり、過去に排出されたCO2を直接回収できることから、負の排出(Negative Emissions)を実現する重要な選択肢として注目を集めています。
本稿では、DAC技術のメカニズムとその現状を概説し、特にその経済的ポテンシャル、社会実装に向けた課題、そして政策的な枠組み設計の重要性に焦点を当てて分析します。環境政策研究員をはじめとする専門家の皆様が、気候変動対策の新たな視点や政策立案の参考としてご活用いただける情報を提供することを目的としています。
DAC技術の概要と現状
DAC技術は、大気中からCO2を直接分離・回収する技術です。主な手法としては、化学吸収材を用いた液体ベースのシステムと、固体吸着材を用いた固体ベースのシステムの二つが存在します。液体ベースのシステムは、水酸化カリウム溶液などのアルカリ溶液を用いてCO2を吸収し、その後に加熱することでCO2を分離・回収します。一方、固体ベースのシステムは、多孔質の固体吸着材がCO2を吸着し、温度や圧力の変化によってCO2を脱着・回収します。
これらの技術は、すでに小規模な実証プラントが稼働しており、例えばアイスランドのClimeworks社のプラントは、年間数千トンのCO2を回収し、地下に貯留しています。また、米国やカナダでも大規模なDACプラントの建設計画が進行中です。しかし、これらのプラントの規模は、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)がパリ協定の目標達成に必要と予測する除去量に比べると依然として小さく、技術のさらなるスケールアップとコスト削減が喫緊の課題となっています。
経済システムへの影響とポテンシャル
DAC技術の普及は、広範な経済的影響をもたらす可能性を秘めています。
1. コスト構造と削減の見込み
DAC技術の現在の回収コストは、1トンあたり数百ドルとされており、既存の排出削減技術と比較して高価であることが課題です。しかし、技術の成熟度向上、規模の経済、再生可能エネルギーとの連携による電力コストの削減、そしてモジュール化・量産化を通じた製造コストの低減により、将来的には大幅なコスト削減が見込まれています。一部の分析では、2030年代には1トンあたり100ドルを下回る可能性も指摘されています。
2. 市場規模と産業構造の変化
DACによって回収されたCO2は、そのまま地下に貯留されるだけでなく、e-fuels(合成燃料)、化学製品、建材など、様々な製品の原料として利用する「CO2利用(CCU: Carbon Capture and Utilization)」の用途も期待されています。これにより、「DAC-to-X」といった新たなサプライチェーンが形成され、関連する産業(エンジニアリング、建設、化学、エネルギー、素材産業など)の成長を促進し、新たな市場の創出につながると考えられます。特に、カーボンニュートラル社会に向けたe-fuelsの需要増は、DACの経済性を大きく左右する要因となり得ます。
3. 雇用創出
DACプラントの設計、建設、運用、メンテナンス、そして関連する研究開発やCO2利用産業の発展は、新たな雇用を創出します。高度な専門知識を要する技術者だけでなく、製造業や建設業における多様なスキルを持つ人材の需要が高まることが予測されます。
4. 投資機会
DAC技術への投資は、ベンチャーキャピタル、プライベートエクイティ、政府系ファンド、そして大手エネルギー企業や産業界からの戦略的投資など、多様な主体から流入しています。特に、長期的視点に立った脱炭素化の目標設定と、それに裏打ちされた政策インセンティブの明確化は、民間投資を加速させる上で極めて重要です。
5. 炭素市場との連携
DACによるCO2除去は、「カーボンクレジット」として取引されることで経済的価値を持つ可能性があります。健全な炭素クレジット市場の形成は、DACプロジェクトの収益性を確保し、投資を呼び込む上で不可欠です。透明性の高い測定・報告・検証(MRV)プロセスの確立や、クレジットの適正価格設定が今後の課題となります。
社会実装の課題
DAC技術の本格的な社会実装には、経済的側面だけでなく、複数の課題が存在します。
1. 高コストと経済性の確立
前述の通り、現在の回収コストは高く、これを実用的な水準まで引き下げることが最大の課題です。初期投資の大きさも、大規模プロジェクトの実行を阻む要因となっています。
2. 大規模化とエネルギー需要
DACはCO2を大気中から直接回収するため、濃度が低いことから大量の空気を処理する必要があり、それに伴う膨大なエネルギー(熱と電力)が必要です。このエネルギーをいかに持続可能な方法で供給するかが重要であり、再生可能エネルギーとの統合が不可欠となります。また、大規模なプラントを建設するための土地の確保も課題となる可能性があります。
3. CO2貯留・利用インフラの整備
回収されたCO2は、長期的に安定して貯留されるか(地中貯留)、あるいは経済性のある形で利用される必要があります。貯留サイトの選定と社会受容性、輸送パイプラインなどのインフラ整備は、DAC普及の前提条件となります。
4. 社会受容性
新たな大型施設の建設や、地下貯留のリスクに関する地域住民の理解と合意形成は、プロジェクトを推進する上で欠かせない要素です。透明性の高い情報公開と、ステークホルダーとの継続的な対話が求められます。
政策・規制動向と国際比較
DAC技術の普及には、政府による強力な政策支援が不可欠です。
1. 各国政府の支援策
米国では、45Q税額控除(炭素回収・貯留に対する税額控除)がDAC技術にも適用され、投資を大きく促進しています。インフレ削減法(IRA)によりその恩恵はさらに拡大し、DAC単独での回収・貯留に対しては1トンあたり最大180ドルの税額控除が提供されています。欧州連合(EU)では、イノベーション基金を通じたDACプロジェクトへの助成や、炭素除去認証フレームワークの構築が進められています。日本においても、DACを含む負の排出技術の研究開発支援や、社会実装に向けたロードマップの策定が進行しています。
2. 国際的な目標設定とDACの役割
IPCCの報告書では、パリ協定の1.5℃目標達成シナリオにおいて、21世紀中に数ギガトン規模のCDRが必要不可欠であると繰り返し強調されています。DACは、その中の主要な選択肢の一つとして認識されており、国際社会全体でその開発と普及を支援する枠組みの構築が期待されます。
3. 炭素除去クレジットの認証と市場形成
DACによるCO2除去量を正確に計測し、信頼性の高いカーボンクレジットとして認証する国際的なスキームの確立が喫緊の課題です。これにより、企業や国がDACクレジットを購入することで排出量目標達成に貢献できるようになり、DACプロジェクトの収益性を高めることができます。
将来の展望と提言
DAC技術はまだ発展途上にありますが、そのポテンシャルは計り知れません。将来に向けては、以下の点が重要であると考えられます。
- 継続的なR&D投資: コスト削減と効率向上に向けた基礎研究および応用研究への継続的な投資が必要です。特に、吸着材の性能向上やシステム全体のエネルギー効率化が鍵となります。
- 大規模実証プロジェクトの推進: 実証規模を拡大し、運用ノウハウを蓄積することで、技術の信頼性と経済性を確立する必要があります。
- 政策インセンティブの強化と多様化: 税額控除、補助金、低利融資、政府による調達保証など、多様な政策ツールを組み合わせて、民間投資を強力に後押しすべきです。特に、除去されたCO2の経済的価値を明確にするメカニズムの設計が重要です。
- 国際協力の深化: 技術開発、コスト削減、標準化、そしてグローバルな炭素市場形成に向けて、国境を越えた協力体制を強化する必要があります。
- 統合的なシステムアプローチ: DAC単独ではなく、再生可能エネルギー、CO2輸送・貯留インフラ、そしてCCU技術と統合されたシステムとして捉え、最適な配置と運用を模索することが求められます。
結論
二酸化炭素直接空気回収(DAC)技術は、気候変動対策における負の排出を実現する上で不可欠な技術であり、その経済的ポテンシャルは計り知れません。新たな産業の創出、雇用機会の拡大、そして持続可能な社会経済システムへの移行を加速する可能性を秘めています。
しかし、その普及には依然として高コスト、大規模化の課題、インフラ整備の必要性、そして社会受容性の確保といった障壁が存在します。これらの課題を克服するためには、技術革新への継続的な投資に加え、政府による強力かつ整合性の取れた政策支援、国際的な協力体制の構築が不可欠です。DAC技術が気候変動対策の主流となる未来へ向けて、政策研究員をはじめとする関係者間の連携が、その実現を加速させる鍵となるでしょう。